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アサコ・スタイグ

アサコの「ライナーノーツ読めば?」第5回~

 2022年もあと4か月。5枚目に紹介するのは、オーネット・コールマンのアルバム。実は、このアルバムのライナーノーツ長い!

アサコ・スタイグこんなに長いと読むのが正直面倒くさい。逆に聴く楽しみがなくなる感じするのよね。そして、ジャズ初心者の人がこの表紙の写真(モンクののときと同じく、Bill Claxton氏が撮影したらしい)とタイトルに惹かれて聴いてみると、「なんだかさっぱりわかんない。だからジャズはわかんない」みたいな音と言えなくもない…。でも、もう5枚目だから、アマンダの耳に期待して、とりあえずいつものように「聴いてから読む」か!


ジャズ初心者確かにこの表紙の写真は、オーネットの黒いセーターの中にきちんと納まった白い襟が目にとまって、素敵な写真だね!(下の画像はCDジャケットです)


アサコ英語の原題は直訳すると「未来のジャズの形」っていうのよ。それを日本では「ジャズ来るべきもの」って訳したようなんだけど、1959年に「次のジャズはこれだ!」っていう演奏をしたってことかな。今から63年前の話!昔だな~なんて感じるかな?感想を聴かせてね!

アマンダ・パイ
わかりました!まず、一度聴いてみま~す



A: どうだった?アマンダ。聴いた感想を一言でいうと?

AP: うーん、一言でいうと、カッコいい!

A: いや~、アマンダ、ありがとう!その一言の方が、この長い解説よりずっと雄弁でございます。このアルバムジャケットの裏面に、「とにかくカッコイイので聴いてください」って書いてあった方が、ジャズの初心者の人にはずっと分かり易いと思うのよね。

AP: でも、それじゃ解説になんないよ。
こんな音楽が、60年以上も前にあったなんて、全然古い感じしないけど。ちょっと都会で生きてる猫とかそういうイメージ。絵が頭に浮かぶ感じだった

A: アマンダ、素晴らし~。ジャズ慣れしてきたね!ジャズミュージシャンのことをcatsと言うもんね~

AP: あと、『ピース(PEACE)は、最初、曲名を見ないで聴いて、あとで見て、これ、「平和」って曲なんだって。ちょっと意外だった

A: そうか~。でも、PEACEって、平和って訳もあるけど、「安らぎ」とか「安息」とか訳すこともあるよね。オーネットは、ジャズは人間のもっと多様な感情を表現するべきだ、って言っていたそうだから、PEACEの感じ方も音で表現するといろいろあるってことかも。世界中で戦争をおっぱじめる人たちに、オーネットさんの音楽を聴くことをお勧めしたいわ、私。

AP: ひとつ気になるのは、オーネットさんも、モンクさんと同じく、「ジャズが分かっていない」みたいなことを言われて、ひどい扱いをされたって書いてあるよね。

A: ほんと。楽器を壊されたとは、器物損壊罪じゃ。でもさ、アマンダ、これはある意味、音楽の世界では「時代を先取りした天才」の宿命かもよ。ジャズに限らず、クラシックの世界でも、例えば、誰だっけ、確かラヴェルかドビュッシーか、弦楽四重奏を発表したとき「あれは音楽じゃない」みたいなこと言われたとか、日本の作曲家の武満徹さんも、初めてニューヨーク公演したとき、アメリカのオーケストラの団員に笑われたとか、そういう話あるよ。つまり、笑っている方が「何もわかっていないタダの人だった」というのは歴史が証明しているよね?

AP: ジャズを聴くと、「自分が権威だ、絶対だ」と威張っている人たちを「?」と疑いたくなる。新しいことをやる人に出会えるのが面白いね!

A: お、アマンダ、いいこと言うじゃん!長ったらしい解説は、個人的には首をかしげてしまったけど、オーネットが信念を曲げずにこのアルバムを世に出してくれたことを賞賛している点は、まったく同感。著者のウィリアムスさんにもお礼を言わないとね! (2022年9月)

The Shape of the Jazz to Come (1959年5月録音)
Ornette Coleman(Atlantic 1317)
Ornette Coleman オーネット・コールマンの演奏は、ジャズ音楽の有り様に深く広く影響を与えるだろう、と思うが、彼がやっていることが新しく、ホンモノであると思うのは、私が初めてでも、私だけでもない。例えば、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のベーシスト、パーシー・ヒースは、二年以上もコールマンを賞賛し続けているが、。大抵の場合、誰も耳を貸さない。ヒース曰く、「オーネットとドン・チェリーを初めて聴いたとき、『一体これは何だ?』と思ったが、次の瞬間気づいた。チャーリー・パーカーを初めて聴いたときみたいだと。エキサイティングで今までにないもの。でも、まさに新しいアプローチで、音楽として成立していいるとすぐに悟った。同じくMJQのピアニストで音楽監督でもあるジョン・ルイスも、昨年の冬、オーネットを聴いてこう言った。「1940年代半ばのディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、そしてセロニアス・モンクによるイノベーション以来、オーネットは、本当に新しいジャズをやっている唯一の人だ」と。
 オーネットの演奏は、とても美しくもあり、聴く人それぞれの心をゆさぶる滅多にないものだ。メロディーは風変わりだが、批評家を気にして「実験的」に借りてきた耳障りなところは全くない。リスナーの耳や心に向けて、瑞々しい感性を創り出す。
 コールマンが音楽を語るとき、遅かれ早かれ「愛」という言葉を使わずにいられないのだろう。何を言うにも生まれつきのはにかんだ様子で話す彼だが、音楽についても控えめにこう言う。「音楽は、人間の気持ちのためのものだ。ジャズは、今まで以上に多様な感情の表現を試みるべきだと思う」
 というわけで、彼は、自分の音楽の源や、演奏する理由をわかっている。また、それを自分のものだとか、自分が発明したのではなく、与えられたものに責任がある、と思っている。革新的なミュージシャンは、初期の段階で皆そうあるべきなのだが、オーネットも彼の「ミューズ」に従って演奏することを恐れない。「演奏してみるまでどんな音になるか私自身わからない。そんなこと誰にもわからないよ。だから、演奏する前に話をするなんて無理だ」
 彼のジャズは、本物のイノベーションだ。つまり、基本的にシンプルで、純粋で、生まれるべくして生まれたのだが、コールマンのように並々ならぬ信念を持つ者によってなされて初めて私たちにはそれに気づく基本原理はこうである ―私の吹く音に従来のコードを充てると、私が吹く次の音の選択肢を制限することになる。従来のコードを充てなければ、メロディーが動く方向の選択肢はずっと広がる。即興については、「コード進行に沿ってただ演奏するのなら、前もってメロディーを楽譜に書いた方がいい」と言う。これは、彼の音楽が「カントリー」ブルース歌手のソニー・テリーやビッグ・ビル・ブルーンズィーの音楽のように「非和声的」であることを意味しない。また、それが無秩序であるということでもない。コールマンは、コード間の隔たりに妨げられず、またそれを超えて演奏できる。彼はこう言う。「自分は間違えることがある、と悟ることで、私の演奏に秩序があると気づいた」と。この言葉は、何より、彼が成熟したミュージシャンであることを示している。
 この数年間のジャズの進展が示すように、誰もが使うコードをすべて明確にして演奏する必要を本当に感じているミュージシャンなどいない。また、ミュージシャンがコードを明確にしたり、ソロ奏者がコードを暗示すると、いわゆる「進歩的な」コードに合う音階を上下して、ハーモニーの迷路走り回るネズミみたいに疲れ切ってしまう、そんなことを示す演奏もあった。そのようなハーモニーが築いてきた壁を誰かが突破し、メロディーを復活させなければ。とはいえ、私たちがそれに気づいたのも、コールマンがやり始めたからだ

 過去十年間、ジャズ界には未来を預言するかのようで実は…というミュージシャンが多すぎたから、コールマンがホンモノであるという証明が必要だろう。私が思うに、彼はこれまでの重要な革新的ジャズミュージシャンと同様、リズムとハーモニーとメロディーラインの間の本質的なバランスを維持している。ジャズでは、この三つが個性を決める。このうちひとつだけ変えて、残りの二つの本質的改造が伴わないと大抵失敗する。さらに、彼は、ジャズに欠かせないルーツを発展させる形で演奏する。無差別的な金管アンサンブルの移入ではない。偉大なジャズメンの多くがそうであるように、彼もブルースに対する深く、独特のフィーリングを持ち、それは聴けばすぐにわかる。「ピース(Peace)」は、私にとってはその良い例で、彼の演奏が、ジャズの感情表現の幅を広げてくれている。
 これらのこと、そして、彼が作曲でも即興でも、通常の32、16、12小節の形式を打ち破った事実は、すべて内面の音楽的必要性から生まれていて、学術的な外からの細工ではない。まず「コンジニアリティ(Congeniality)」を聴けば、ここに書いたことも、彼の作曲家としての実力やインストラメンタルジャズのコンセプトの広がりも理解できる。最後に、Congenialityなどのソロがコールマンの書いたメロディーと無関係だ、というのは、大きな間違い。そんな批評も目にするが、実はジャズのソロというのは往々にして主旋律と関係がなく、関係があるのは、テーマのハーモニーを構成するコードなのである。コールマンとドン・チェリーは、コードや小節形式と関係なく、テーマのフィーリング、ピッチ、リズムおよびメロディーに関連づけた演奏をすることもある。リスナーによっては、その方が通常の和声的な関連づけより大きな意味を持つかもしれない。

 オーネット・コールマンは、1944年、14歳のとき、テキサス州フォートワースでアルトサックスを吹き始めた。ほとんど独学でおぼえたのだが、オースティンで音楽教師をしていた従兄弟のジェームズ・ジョーダンに刺激を受け、早くから和声と理論の本を読んでしっかりと勉強した。初期に影響を受けたのは、チャーリー・パーカーと演奏していたレッド・コナー。コールマンによると、コナーは、現在のソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンのような演奏を当時やっていたという。また、アルト奏者のバスター・スミスを聴いて尊敬していた。スミスは、現在ダラスで仕事をしており、パーカーが「マジでゴキゲン」と言ったミュージシャンだ。
 コールマンの初期の仕事には、カーニバルやR&Bバンドもあり、いつもリーダーの意に沿わない演奏をして退団させられた。一度、ニューオリンズで聴衆に楽器を壊されたことがある。どうやら彼の演奏が気に入らなかったらしい。1952年のロサンゼルスのセッションでは、他のミュージシャンたちに「和声を理解しておらずハモっていない」と言われて相手にされなかった。フォートワースに戻ってから、1954年に再びロサンゼルスへ行ったが、この年は、彼にとって非常に重要な年となる。その後の彼の音の特徴となる「自由」に到達したのだ。しかし、すぐには認められず、昼間に別の仕事をして妻のジェインとの生活を支えた。間もなく息子も誕生したが、彼は、音楽に対する自らの信念を曲げることはなかった。
 1956年、トランぺッターのドン・チェリーと出会った。チェリーは、コールマンの演奏を理解し、コールマンが息をするように音楽での呼吸を始める。チェリーはコールマンより6歳若かったが、4歳のとき、オクラホマシティからロサンゼルスへ引っ越し、1951年からプロとのギグを重ねていた。
 ベースのチャーリー・ヘイデンは、この録音に欠かせない存在だ。彼もコールマンの音楽の本質を把握し、大きく貢献している。このアルバムの彼の演奏を聴くと、コールマンの音楽がバンドによる即興において少なくとも次のことを既に成し遂げたとわかる。それは、従来のベースの立ち位置や和声的なベースラインという考えを捨てることにより、曲と即興奏者による進行中のピッチをベースのために見つけ(コールマンは、ときどきヘイデンのためにベースレンジを書き出した)、伴奏としてヘルプする機能ではなく、音楽にもっと直接的に関わり、リズムを刻みつつメロディックなベースパートを生み出している。特に「ロンリー・ウーマン(Lonely Woman)」に耳を傾けて欲しい。
 最後に、ドラマーのビリー・ヒギンズだが、彼は、ドン・チェリーが連れてきたメンバーである。彼は、ジャズビートの基本的な動きやスウィングを維持しつつ、テンポを変えたり、リズムや拍子を自由に操ることができる。
 収録曲のタイトルは、よくあるアイロニーやとってつけたそれではなく、文字通りの意味が込められている。例えばCongenialityは、本来はあるさすらいの伝道者のためのタイトルだったが、コールマン曰く、「私は牧師ではなくミュージシャンなので、聴衆に対してミュージシャンが抱く気持ちを私なりのタイトルにした」そうだ。
 このLPのテープの編集は、マサチューセッツ州レノックスのミュージック・インにあるスクール・オブ・ジャズの3回目のサマーセッション期間中に行われた。オーネットとチェリーがそこで学んでいたのだ。オーネットは、ジャズとクラシックのフレンチホルン奏者で作曲家、ジャズ批評家としても仕事をし、当スクールの講師でもあったガンサー・シュラーに編集の手助けを依頼した。次にシュラーのオーネットに関するコメントを載せるが、内容が内容なので、シュラー自身が「現代音楽において完璧なスタイル感」を持つ作曲家として賞賛されている人であることを前もって書いておく。「オーネットが音楽を生み出すとき、最も注目に値する要素は、とらわれない完全な自由である。彼の音楽は、従来の小節、コード進行、これまでのサックスの吹き方やフィンガリングを超えた世界で生み出されている。彼には、そうした実質的な枠を克服する必要さえなかった。どういうわけか、そんなものは彼にとってもともと存在しなかったのだ。それにもかかわらず、というか、もっと正確にいえば、そのおかげで、彼の演奏には深い内的なロジックが存在する。言わずもがなの表面的なそれではなく、私が思うに、ジャズにとって全く新しい、微妙なリアクションやタイミング、そして音色が根本にある。『新しい』というのは、少なくともこれほど純粋に直接的なスタイルで現れたことは今までなかった、という意味だ。オーネットの音楽の言葉は、ホーンを通して表現しなければならない大人の男の言葉である。音の一つひとつが、伝える必要があるから生まれている。オーネットには、他の大勢のジャズメンのような吹いてるだけの吹き方は無理なのだ、と私は思う。彼にとって音楽は、そんなに浅いものではないのだ。彼の持つ個性や技術のすごいところは、それらにジャズの伝統への深い愛と知識が吹きこまれているだけでなく、チャーリー・パーカーの音楽に内在したすべてが、初めて新しい形として現れたことにある」

マーティン・ウィリアムス
The Jazz Review 共同編集者
(Original liner notes by Martin Williams; translated by Asako)

ところでアマンダ、あっという間に5枚のジャズLPを聴いたわけだけど、そろそろこの連載の原点に戻って、以前のアマンダがなんで「何を聴いたらいいのかわかんない」という気持ちになっていたのかな~って、振り返ってみたら?

そういわれてみれば、今はもう、あまりそういう風に感じていないよ。ライナーノーツに聴くときのいろんなヒントがあるので、自然に耳を傾けるポイントが頭に入ったような気がする。それイコール「聴いて面白い!」という気持ちに変化。

A: とっかかりとして「面白いジャケット」からスタートしたけど、今回もおなじ。超パワフルで印象的なジャケット(下の画像はリマスター版のジャケット)の1枚です!そして、このLPは、アマンダと同じような気持ちだった人たちも絶対に一度は聴いたことのある有名な曲からスタートするから楽しみにしてね!

A: そう!では早速聴いてみま~す

A: どうだった?知っている曲があったでしょ?

AP: はい、一曲目のタイトル曲は、日本のテレビやCMで何度も聴いたことあった。このアルバムの曲なんだね!

A: そうです。この曲は、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズというとても有名なグループの代表作。Moanin’というタイトル曲を、ブレイキーの書いた曲と間違えている人がいるほど。作曲はピアノのボビー・ティモンズさんなので覚えておいてね。

AP: この曲はジャズ初心者の私でも知ってた

A: 今回のライナーノーツは、実は、ライナーノーツを読むってこと自体にも関わる面白い内容。書いたのは、有名なジャズ評論家作曲家でもあるレナード・フェザー氏。この方は、Down Beatというジャズ誌の中で、Blindfold Testというのをやっていたことでも知られているよ。有名なジャズミュージシャンにジャズのLPを聴いてもらってアーティストが誰か当てる、っていう連載。フェザー氏はイギリス出身だったんだけど、アメリカのジャズについてたくさん有名な評論を書きました。ドラマーのアート・ブレイキーが、メッセンジャースって名前のバンドを率いていたわけだけど、このパワフルなアルバムを聴いて彼のメッセージが伝わらない人はいないのでは?アマンダはどうだった?

AP: このアルバムはとっても聴き易くて面白かった!大好きになった!

A: やっぱりね!ということはつまり、ライナーノーツを読むまでもない、ってこと!そこがこのライナーノーツのミソです。矛盾といえば矛盾だけど!

Moanin’ (1958年10月)
Art Blakey and the Jazz Messengers(Blue Note BST-84003)
 アート・ブレイキーがバンドリーダーとしてのキャリアの出発点において、彼の音楽的、また個人的な目的を象徴する言葉として「メッセンジャーズ」を選んだのには理由があった。当たり前のことだが、意味のある音楽には固有のメッセージがあるから、その範囲では、どんなアーティストの組み合わせにも「メッセンジャーズ」という言葉が当てはまろう(非常にクールなホーンプレイヤーにもメッセージはある。表現の仕方はさまざまであろうが)。ブレイキーの場合、重要なのは、彼のメッセージが、単に音楽だけでなく、彼の言動およびふるまいからも発信されている点だ。
 この特徴は、彼がサイドマンとしての仕事(彼は1951~53年までバディ・デフランコ・カルテットのメンバーだった)をやめてから数年の間にますます顕著になった。この時期にはいろいろあった。ブレイキーは、単に彼の音楽のッセージが正しく組み立てられ、リズムのルールやメロディーの法則が完璧だとわかっていても、それだけでは決して満足しないということをはっきりと示した。彼にとって、それは手始めに過ぎず、メッセージを伝える手段が整った今、彼は、その受け手、そしてジャズという音楽の聴き手を何としても見つける覚悟だ。彼は、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの代表にとどまらず、モダン・ミュージックの理想を代弁する人なのだ。
 以前、ブレイキーは、『ダウン・ビート』誌に掲載されたジョン・ティナンとの会話の中で、アメリカ人は自分たちの音楽を理解する機会をまだ与えられていない、という考えを示した。「アメリカ人は自分たちの音楽の良さを分かっていない。そして、アメリカ人にアメリカの音楽を納得させるためには多大な努力が必要だ。やり手の営業マンたちは、なぜジャズを売ろうとしないのだ?もっとジャズを売ろう。ジャズは他のいろんなものよりずっとアメリカ的だ」
 会話の中では、一聴冷笑的なユーモアで真意を隠すこともあるブレイキーだが、彼が率いるバンドが演奏する音楽の重要性を聴き手に理解してもらおうとする熱心さには、並々ならぬものがある。あるライブで、彼は聴衆に向かってこう嘆願した。「ジャズは、この国にとって、外国援助で政府が費やす何十億ドルより価値がある。ジャズはどこをとってもすべてアメリカンだ。だからお願いです。ジャズを支えてください。私は思い上がっているのではない。膝まずいてお願いしているのです。アメリカ人としてアメリカの音楽を支えてください」。セントルイスのある夜のライヴでは、騒々しい群衆に向けて、メッセンジャーズはロックバンドではないので、騒音を上回る音量で演奏することはできないのだ、と説明した。彼はこう続けた。「私たちはモダンジャズを演奏しています。理解していただくにはご静聴して頂かないと。私たちは腕を磨き、リハーサルもします。ジャズ・メッセンジャーズは、とても真剣に音楽をお届けしています。もし、あなたが聴きたくなくても、隣のお客さんはちがうかもしれません」
 このようにブレイキーが溜まっていた思いを爆発させていた時期から数年の間に、音楽をとりまく環境は、ジャズにかなり好意的になってきた。これは幸運なことだ。最近、ブレイキーのメッセ―ジは、次々と現れるソロ担当の優れたメンバーによって発信されるようになっている。ステージで誰が前列に立っていようと、また、リズムセクションの中でブレイキーの隣に誰がいようと、彼のグループは、ホーンプレイヤー二人とリズムセクションというシンプルな形を維持し、リーダーの個性を映し出していることに変わりはない
(ここからメンバーと曲の解説がありますが省略)
 このアルバムの録音から間もなく、ブレイキーと彼の郵便配達員たち(原文ではメッセンジャーズのことをmailmenと呼んでいる)は、フランスやヨーロッパの他の地域への特別配達に出かけた。ヨーロッパで彼らは熱狂的に迎えられ、レコードも売れ続けた。長年にわたりメッセージの受け手には事欠かなかったわけだ。ブレイキーの音楽のメッセージに心から共感するヨーロッパの地に出向き、直接気持ちを伝えるチャンスを得たことは、彼にとってうれしいことだった。しかし、去年だったろうか、ティナンとのインタビューでブレイキーはこう言った。「まだ答えが出ないのは、言葉がちがうヨーロッパの人たちに、どうやって説明するかってことさ」
 そして、歯を見せてにやりとした彼は、雄弁でごもっとな答えを自ら付け加えた。「だけど、言葉なんて必要ない。ヨーロッパのファンは、オレたちのメッセージをわかってくれるよ!」

レナード・フェザー
The Book of Jazz著者
(original linernotes by Leonard Feather; translated by Asako)

さて、アマンダ、ブレイキーのいう「ジャズは何よりもアメリカ的」ってどう思った?このアルバムが出た1958年ごろのアメリカは、アメリカの白人の若者たちが積極的にアフリカ系の人たちの音楽だったジャズを聴いた時代。当時は、ジャズのライヴで若い人たちが音楽に合わせて踊っていたんだよ。ディスコみたいなもの。私もNYでタップダンスをちょっと習ったんだけど、そのとき、Moanin’は、毎日のレッスン前のウォームアップのときの音楽でした。アマンダは、日本ではジャズは「年配のおじさんたちが腕組みして難しい顔をして聴いている」っていう印象だったけど、もともとアメリカのジャズのコンサートの最後では、お客さんがみんなでタップダンス(シムシャム)のステップを踏んで踊ったりするのが普通でした。アマンダの印象とはかけ離れているね!
 1950年代の音楽シーンとしては、1985年の米映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマイケル・J・フォックスがロックンロールを演奏して高校生たちが「なんだ、この音楽?」ってなる、ああいう感じで、チャック・ベリーなどのロックと、それまでのジャズやブルースが混在し、それが世界に広まっていったわけ。ブレイキー氏が言っている「モダンジャズ」っていうのは、ダンスしていた頃のジャズからさらに発展して、静かに耳を傾けてもらうジャズを演奏するグループが出てきて、メッセンジャーズは、そういうジャズを受け入れてくれる聴衆を探していたわけね。

ヨーロッパの人たちにすれば、そういうジャズを生で聴くことで、アメリカを実感したんだね。ブレイキーさんがアメリカでアメリカ人に「アメリカの音楽を聴いてください!」と言っているのはとても面白いと思った~。灯台下暗し、だね。
 
A: アメリカの公民権運動の時代ってことも考えると想像も広がる。ところで、ブレイキーさんの熱心さは素晴らしいけど、どう、アマンダ、ステージ上からミュージシャンにこんな感じで「静かに聴いてください!」なんて言われたら?

AP: うーん、お客さんが大騒ぎしているようなら仕方ないって気もするけど、お説教みたいに感じる人もいたのかな?

A: 一度、面白いことがあったので書いておくけど、2005年頃だったか、ジェレミーのNYCのクラブのライブで、2セット目に、若いカップルの何十人ものグループがどこかから流れてきたことがありました。元気な人たちで、お酒も食事もどんどん注文して、カップル同志ですっかり話し込んで、そのやかましいことったら。音楽を聴きたいお客さんの迷惑になる、とクラブのマネージャーさんは、「し~っ」と言ったり、「声を小さく!」とジェスチャーをしたり。
 ライヴが終わって、私がジェレミーに、「2セット目のお客さん、すごくやかましくて全然聞いてなかったよ」と言うと、ジェレミーはケロっとして、「でも、お金払って入ってきたんでしょ?じゃ、別に何しててもいいよ!」と全然気にもしていませんでした。プロだな~、と感心したことをおぼえています。ジャズロックの時代、トミー・ボーリンのエレキと演奏していただけのことはある。一人ひとりのお客さんに何が聴こえているか、誰にもわかりませ~ん。

AP: 信じてやっていたんだから、ブレイキー氏もあまり心配することなかったような気がする。聴衆が音楽にのめりこむのは時間の問題だったと思うな。

A: 本当にパワフルな音楽は言葉で説明する必要ないね!
(2022年10月)


2022年も、あと1か月ちょっとになって、年末などのお休みにどんな音楽を聴こうかな~なんて季節になりました。ラジオや街のBGMがクリスマスばっかりになると飽きるしね。と、今回は、やっぱりこのメンバーの録音は一度は聴こうね!という、ジャズをよく聴く人なら知らない人はおそらくいないアルバム。この1953年のライヴ録音は、何度か版を重ねていて、今回は、FantasyのDebut Seriesの6003 Jazz at Massey Hall ”The Quintet”のGrover Sale Jr.氏のライナーノーツ。先月、アート・ブレイキーの「言葉がなくても音楽のメッセージは伝わる」って言葉があったけど、今回の文章にも共通点が。それと、先月当時のアメリカの音楽シーンについて面白い話がでていたけど、このライナーノーツも、主に西海岸の媒体に批評文などを出していた専門家が、20世紀前半のアメリカのカルチャーを辛口でバッサリ、って感じで、一読の価値あり。最近の自称「ジャズミュージシャン」の方々には、耳が痛いかも。アマンダはどう感じるかな?

Jazz at Massey Hall (1953年録音)
Charlie Chan, Dizzy Gillespie, Bud Powell, Max Roach, Charles Mingus
(Fantasy 6003)
 Cultural Explosion(文化の急発展)により、ペーパーバック、LPレコード、芸術映画ハウス、ジャズ祭などが私たちの生活にあふれる前まで一世代さかのぼろう。当時は、今日よりずっと簡単に不朽の芸術作品を見つけることができた。若き日のE.ヘミングウェイやW.フォークナーが文壇に現れ、その興奮は、瞬く間に深い芸術愛を共有する熱心な同人たちに広まった。マルコム・カウリー、エドムンド・ウィルソン、T. S. エリオット、エズラ・パウンドなどが、The Dialとか、Criterionとかの小雑誌に「これだ!これこそ本物だ!」と叫んだ。これらの雑誌は、発行部数は微少でも、影響は絶大だった。
 偉大な文才を見抜くあの頃のようなインフラは、もう存在しない。膨大な書籍、雑誌、記事、批評文が巷に溢れ、読者はその量に混乱し、真面目な評論家たちは過度の負担を強いられている。Saturday Reviewだの、LifeTimeなどの大手や体制側の連中が「名文学」と持ち上げる恐ろしいクズの山から『響きと怒り』や『陽はまた昇る』に匹敵する作品を見つけなければならないからだ。
 1920年代、ベートーベンの四重奏曲(イ短調)が新しく録音された。これは音楽ファンが神に感謝するほどの喜びであったから、オルダス・ハクスリーは、『恋愛対位法』(原題:Point Counter Point)の決定的な一章をそれについて書いた。今日、レコード会社はハイドンやヴィヴァルディなど非常に多作な作曲家による楽曲の「全集」をリリースし、一方で、大手レーベル3社が同じ月間に、ウェーバーのオペラ『魔弾の射手』のノーカット版を出したりしている。そんなもの聴く時間のある音楽批評家がどこにいるのだろうか?
 ジャズは、その歴史がレコード業界の歩みと切り離せない。だから、同じ状況がさらに悪い形で発生している。ジャズの発展にはレコードが多大な役割を果たしてきたため、、ジャズの個性的で新しいアプローチについては、特筆すべきレコードを取り上げて書くことになる。例えば、ルイ・アームストロングの『ウェスト・エンド・ブルース』、コールマン・ホーキンスの『ワン・アワー』、10年後にリリースされた『ボディ・アンド・ソウル』、デューク・エリントンの『ジャック・ザ・ベアー』などである。これらのレコードは、当時それを買った現役ジャズミュージシャンたちに即座に影響を与えた。彼らは、それを聴き、延々と語り、記憶に焼きつけ、最終的に自分たちの音楽に組み込んだ。
 言うまでもなく、これらのレコードは10インチの78rpmで、再生時間は約3分。これまで頻繁に書かれているが、ジャズの発展に計り知れない影響を与えたこの時間的制約は、ソロ奏者やアレンジャー兼作曲家に優しいルールだった。エリントンなど数名は、この制約の縛りに抵抗したが、例外である彼の『ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ』(比類なき不朽の名作。皮肉なことに、全曲録音が存在しない)を除き、王者エリントンの傑作録音の中で200秒(3分20秒)を超えるものはほとんどない。
 最初に触れたCultural Explosionの一端を担ったLPレコードだが、それがジャズのためになった、とは言い切れない。書籍や「クラシック」音楽の世界と同様、ジャズLP市場も膨れ上がった。バンドのサイドマンたちが、みな自分の名前でレコードを出した。それも何枚も。芸術的視点からLPを出すべき人材かは関係なく、多くの場合、力不足だった。おまけに、ワンコーラスさえ持て余すようなミュージシャンに、中身ゼロの12コーラス、という自由を与えてしまったのだ。これは、映画で言うとシネマスコープと同じだった。埋めるべき画面があんなに広くてはね!文学の世界と同様、ジャズミュージシャンとジャズ評論家にとって、無価値な作品と傑作の間の線引きが難しくなった。
 ドワイト・マクドナルドが『マスカルト・アンド・ミッドカルト』で概説した文化類型に倣い、ジュディ・ガーランドやボブ・ニューハートのリスナーたちのために、ポピュラー音楽としてのカクテル・ジャズが売り出された。その対極がウエストコーストジャズからハードボップ、ソウルファンクまで、あらゆる一時的流行を追う、独創性のない「ヒッピー」たちだった。彼らは、「ニューサウンド」とか「バードの最新盤」を盲目的に崇拝した。ヒッピーDJが司会を務めるジャズラジオ局(新現象)が、最近の「派生物」をひっきりなしに流した。その中にバド・パウエルはひとりもおらず。彼に心酔した片手落ちのピアニストたちは、レイ・ブラウンやミンガスのようなバックもなく、まさに「迷」演奏。レスター・ヤングも滅多にいない。似て非なるものばかりだ。
 ジャズ誌は、明らかに価値のない小物に高評価を与え、「このレコードは、すべてのジャズファンがコレクションに加えるべきだ」という決まり文句でレビューを結んだ。レコード会社は、三流の録音を「絶対に欲しい1枚」とか、「ジャズの真髄」とか、「間違いなしの作品」などと謳った。
 今、私たちは、Jazz at Massey Hallを聴くことができる。この作品が間違いなく類稀なる重要な一枚であるという以外に言うことがあるだろうか。ジャズに少しでも興味のある者なら、絶対にコレクションの加えるべきだ。
 単なる「ブローイング・セッション」ではなく、これはおそらく、過去に録音されたブローイング・セッションの中で最高のものであろう。ジャズ評論家の夢ともいえるアーティストたちが顔をそろえた。モダンジャズの発展の象徴と言える5人の巨人が、1953年はじめにトロントのマッセイ・ホールに一堂に会したことは、本当にラッキーだった。
 これこそ、LPであることが裏目に出ず、LPだから価値が高まったブローイング・セッションだ。チャーリー・〝チャン“やディジー・ギレスピ―の心に残るコーラスが次から次へと聴けるのがありがたい。
 本LPの各トラックについて、文字で解説するのは無意味なことだ。マイルズ・デイビスは言った。「俺はアルバムのライナーノートは要らない。音楽を聴けばわかるから」。Jazz at Massey Hallは、モダンジャズ最高のクインテットが、その創造性と表現力の頂点にあった時のアルバムだ、と言えば十分である。バンドの興奮と熱は、限りなく高まり、それが聴衆に伝わり、レコードを聴く人も、今度ばかりは感動のあまりに聴衆に向かって、ではなく、聴衆と共に叫ぶだろう。
 このアルバムは名作というだけではない。歴史的ジャズレコードであり、Louis Armstrong Hot Fives and Sevensや、1940~42年のEllington Victors、そして、ビリー・ホリディとテディ・ウィルソンのセッションに匹敵すると言える。

1962年6月
グローバー・セールス・ジュニア
(Original linernotes by Grover Sales Jr.; translated by Asako)

このレコード、録音悪い。ドラムのビートもよく聴こえないよ!
いままでで一番聞きにくかった。最高のブローイング・セッションって言っても、音が聞こえない

いや~、アマンダ。本当のことを言ってくれてありがとう。もう立派なリスナーだね!私もそう思う。こんな豪華なメンバーなのにもったいないな~という録音だね。このライヴに関しては、ネット上にいろんな裏話が載っているけど、ジャズのライヴって、本当は、こういう「すべてが完璧じゃない」のが当たり前。特に1950年代なんてそうだったかも。モンクのサンフランシスコのときも書いたけど、結構行き当たりばったりみたいなのがジャズのライヴ。天才的なプレーヤー5人が「あら、こんなところでやってる?!」みたいな感じ、想像してみない?なんか楽しいじゃん。

本当だよ!今、そんなメンバーがコンサートやるって言ったら、半年まえからネット予約で大変なことになるよね、きっと。録音とかも準備万端で。


ほんとだね。グローバー・セールス氏のライナーにもにじみ出ていると思うけど、これは、それぞれのメンバーの音ををほかのレコードで聴きこんでいる人が、「こんなコンサートあったんだよ」と将来に語り継ぎたい、ってことなんだろうね。そして、彼らのことをこのLPで初めて知った人に、他の良い録音のレコードでそれぞれの音もどんどん聴いてほしい、ってことなんじゃないかと。音が悪いからこそ、逆に熱いメッセージが込められていると考えることもできると思うよ。


AP: だけど、この本番を聴いていなかった、つまり、この録音だけを聴いて、「史上最高のブローイング・セッション」って書くって、すごい耳だね。どうすればそんな風に聴けるようになるの?

A: ジャズを音楽の理論で説明して、「ここがすごいです」って普通の人に言うことのできる人は、たくさんいないと思うけど、有名なレコードの演奏を聴いていると、優れたプレーヤーの音が記憶に残ることは確かだね。そうすると、今まで自分が聴いたことのないレコードが、例えばラジオから流れてきたとしても、記憶の中の音と一致する音があって、誰の演奏かわかるときが増えてくる。そうすると、そういう演奏に比べて、何かどうも曲としてまとまりがない、とか、印象が薄い、とか、そういう自分なりの聴き方とか、好みが築かれる。こういう専門家の人たちは、そういう経験もすごくたくさんあって、録音が悪くても、聴きどころのツボみたいなものを知っているのかな~と思うな


AP: アサコはそういう経験あるの?

A: 私なんか、まさにこのライナーノーツの「ちまたにあふれたジャズLP」の1パーセントも聴いてないと思うから、そんなツボはわからないけど、それでも表面だけなぞったみたいな「ジャズ風に聴こえる」ソロなんか聞くと、すぐシラケるところがある。それと、ときどき、なんか妙に文字みたいに音を鳴らす人がいると感じるときあるね。これはジャズに限らないけど、音楽(器楽曲)のはずなのに、なにか文字を読み上げているみたいな演奏する人がいる。私はあれがダメ。そういう人の演奏がBGMとかで流れてくると、読んでいる本とかにまったく集中できない。演奏が音楽になっている人の場合は、そういうことが起きない、という経験はあります

AP: 歌詞がないのに、文章みたいな音?面白いね。

A: 本当に!あれはなんだろうね~。ところで、マイルス・デイビスが、「聴けばわかるから」って言ったのは、彼がすごい自信家だったってこともあるけど、自分の耳で聞き分けるリスナーの存在を信用しているセリフにも聞こえるね。グローバーさんによると、文学界では失われた「才能を見抜く人たち」がジャズリスナーの中にはまだいる、とマイルスは思っていたのかな~

AP: このライナーノーツでは、文学も音楽も、創る人だけじゃなく、それを読んだり、聴いたりする人も、文化の発展や衰退に大きく関わっているってことが勉強になりました~

A: お、アマンダ、しっかり締めてくれてありがとう。ますますジャズを聴きたくなる面白い1枚だったね
(2022年11月)