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アサコ・スタイグ

アサコの「ライナーノーツ読めば?」第5回~

 2022年もあと4か月。5枚目に紹介するのは、オーネット・コールマンのアルバム。実は、このアルバムのライナーノーツ長い!

アサコ・スタイグこんなに長いと読むのが正直面倒くさい。逆に聴く楽しみがなくなる感じするのよね。そして、ジャズ初心者の人がこの表紙の写真(モンクののときと同じく、Bill Claxton氏が撮影したらしい)とタイトルに惹かれて聴いてみると、「なんだかさっぱりわかんない。だからジャズはわかんない」みたいな音と言えなくもない…。でも、もう5枚目だから、アマンダの耳に期待して、とりあえずいつものように「聴いてから読む」か!


ジャズ初心者確かにこの表紙の写真は、オーネットの黒いセーターの中にきちんと納まった白い襟が目にとまって、素敵な写真だね!


アサコ英語の原題は直訳すると「未来のジャズの形」っていうのよ。それを日本では「ジャズ来るべきもの」って訳したようなんだけど、1959年に「次のジャズはこれだ!」っていう演奏をしたってことかな。今から63年前の話!昔だな~なんて感じるかな?感想を聴かせてね!

アマンダ・パイ
わかりました!まず、一度聴いてみま~す



A: どうだった?アマンダ。聴いた感想を一言でいうと?

AP: うーん、一言でいうと、カッコいい!

A: いや~、アマンダ、ありがとう!その一言の方が、この長い解説よりずっと雄弁でございます。このアルバムジャケットの裏面に、「とにかくカッコイイので聴いてください」って書いてあった方が、ジャズの初心者の人にはずっと分かり易いと思うのよね。

AP: でも、それじゃ解説になんないよ。
こんな音楽が、60年以上も前にあったなんて、全然古い感じしないけど。ちょっと都会で生きてる猫とかそういうイメージ。絵が頭に浮かぶ感じだった

A: アマンダ、素晴らし~。ジャズ慣れしてきたね!ジャズミュージシャンのことをcatsと言うもんね~

AP: あと、『ピース(PEACE)は、最初、曲名を見ないで聴いて、あとで見て、これ、「平和」って曲なんだって。ちょっと意外だった

A: そうか~。でも、PEACEって、平和って訳もあるけど、「安らぎ」とか「安息」とか訳すこともあるよね。オーネットは、ジャズは人間のもっと多様な感情を表現するべきだ、って言っていたそうだから、PEACEの感じ方も音で表現するといろいろあるってことかも。世界中で戦争をおっぱじめる人たちに、オーネットさんの音楽を聴くことをお勧めしたいわ、私。

AP: ひとつ気になるのは、オーネットさんも、モンクさんと同じく、「ジャズが分かっていない」みたいなことを言われて、ひどい扱いをされたって書いてあるよね。

A: ほんと。楽器を壊されたとは、器物損壊罪じゃ。でもさ、アマンダ、これはある意味、音楽の世界では「時代を先取りした天才」の宿命かもよ。ジャズに限らず、クラシックの世界でも、例えば、誰だっけ、確かラヴェルかドビュッシーか、弦楽四重奏を発表したとき「あれは音楽じゃない」みたいなこと言われたとか、日本の作曲家の武満徹さんも、初めてニューヨーク公演したとき、アメリカのオーケストラの団員に笑われたとか、そういう話あるよ。つまり、笑っている方が「何もわかっていないタダの人だった」というのは歴史が証明しているよね?

AP: ジャズを聴くと、「自分が権威だ、絶対だ」と威張っている人たちを「?」と疑いたくなる。新しいことをやる人に出会えるのが面白いね!

A: お、アマンダ、いいこと言うじゃん!長ったらしい解説は、個人的には首をかしげてしまったけど、オーネットが信念を曲げずにこのアルバムを世に出してくれたことを賞賛している点は、まったく同感。著者のウィリアムスさんにもお礼を言わないとね! (2022年9月)

The Shape of the Jazz to Come (1959年5月録音)
Ornette Coleman(Atlantic 1317)
Ornette Coleman オーネット・コールマンの演奏は、ジャズ音楽の有り様に深く広く影響を与えるだろう、と思うが、彼がやっていることが新しく、ホンモノであると思うのは、私が初めてでも、私だけでもない。例えば、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のベーシスト、パーシー・ヒースは、二年以上もコールマンを賞賛し続けているが、。大抵の場合、誰も耳を貸さない。ヒース曰く、「オーネットとドン・チェリーを初めて聴いたとき、『一体これは何だ?』と思ったが、次の瞬間気づいた。チャーリー・パーカーを初めて聴いたときみたいだと。エキサイティングで今までにないもの。でも、まさに新しいアプローチで、音楽として成立していいるとすぐに悟った。同じくMJQのピアニストで音楽監督でもあるジョン・ルイスも、昨年の冬、オーネットを聴いてこう言った。「1940年代半ばのディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、そしてセロニアス・モンクによるイノベーション以来、オーネットは、本当に新しいジャズをやっている唯一の人だ」と。
 オーネットの演奏は、とても美しくもあり、聴く人それぞれの心をゆさぶる滅多にないものだ。メロディーは風変わりだが、批評家を気にして「実験的」に借りてきた耳障りなところは全くない。リスナーの耳や心に向けて、瑞々しい感性を創り出す。
 コールマンが音楽を語るとき、遅かれ早かれ「愛」という言葉を使わずにいられないのだろう。何を言うにも生まれつきのはにかんだ様子で話す彼だが、音楽についても控えめにこう言う。「音楽は、人間の気持ちのためのものだ。ジャズは、今まで以上に多様な感情の表現を試みるべきだと思う」
 というわけで、彼は、自分の音楽の源や、演奏する理由をわかっている。また、それを自分のものだとか、自分が発明したのではなく、与えられたものに責任がある、と思っている。革新的なミュージシャンは、初期の段階で皆そうあるべきなのだが、オーネットも彼の「ミューズ」に従って演奏することを恐れない。「演奏してみるまでどんな音になるか私自身わからない。そんなこと誰にもわからないよ。だから、演奏する前に話をするなんて無理だ」
 彼のジャズは、本物のイノベーションだ。つまり、基本的にシンプルで、純粋で、生まれるべくして生まれたのだが、コールマンのように並々ならぬ信念を持つ者によってなされて初めて私たちにはそれに気づく基本原理はこうである ―私の吹く音に従来のコードを充てると、私が吹く次の音の選択肢を制限することになる。従来のコードを充てなければ、メロディーが動く方向の選択肢はずっと広がる。即興については、「コード進行に沿ってただ演奏するのなら、前もってメロディーを楽譜に書いた方がいい」と言う。これは、彼の音楽が「カントリー」ブルース歌手のソニー・テリーやビッグ・ビル・ブルーンズィーの音楽のように「非和声的」であることを意味しない。また、それが無秩序であるということでもない。コールマンは、コード間の隔たりに妨げられず、またそれを超えて演奏できる。彼はこう言う。「自分は間違えることがある、と悟ることで、私の演奏に秩序があると気づいた」と。この言葉は、何より、彼が成熟したミュージシャンであることを示している。
 この数年間のジャズの進展が示すように、誰もが使うコードをすべて明確にして演奏する必要を本当に感じているミュージシャンなどいない。また、ミュージシャンがコードを明確にしたり、ソロ奏者がコードを暗示すると、いわゆる「進歩的な」コードに合う音階を上下して、ハーモニーの迷路走り回るネズミみたいに疲れ切ってしまう、そんなことを示す演奏もあった。そのようなハーモニーが築いてきた壁を誰かが突破し、メロディーを復活させなければ。とはいえ、私たちがそれに気づいたのも、コールマンがやり始めたからだ

 過去十年間、ジャズ界には未来を預言するかのようで実は…というミュージシャンが多すぎたから、コールマンがホンモノであるという証明が必要だろう。私が思うに、彼はこれまでの重要な革新的ジャズミュージシャンと同様、リズムとハーモニーとメロディーラインの間の本質的なバランスを維持している。ジャズでは、この三つが個性を決める。このうちひとつだけ変えて、残りの二つの本質的改造が伴わないと大抵失敗する。さらに、彼は、ジャズに欠かせないルーツを発展させる形で演奏する。無差別的な金管アンサンブルの移入ではない。偉大なジャズメンの多くがそうであるように、彼もブルースに対する深く、独特のフィーリングを持ち、それは聴けばすぐにわかる。「ピース(Peace)」は、私にとってはその良い例で、彼の演奏が、ジャズの感情表現の幅を広げてくれている。
 これらのこと、そして、彼が作曲でも即興でも、通常の32、16、12小節の形式を打ち破った事実は、すべて内面の音楽的必要性から生まれていて、学術的な外からの細工ではない。まず「コンジニアリティ(Congeniality)」を聴けば、ここに書いたことも、彼の作曲家としての実力やインストラメンタルジャズのコンセプトの広がりも理解できる。最後に、Congenialityなどのソロがコールマンの書いたメロディーと無関係だ、というのは、大きな間違い。そんな批評も目にするが、実はジャズのソロというのは往々にして主旋律と関係がなく、関係があるのは、テーマのハーモニーを構成するコードなのである。コールマンとドン・チェリーは、コードや小節形式と関係なく、テーマのフィーリング、ピッチ、リズムおよびメロディーに関連づけた演奏をすることもある。リスナーによっては、その方が通常の和声的な関連づけより大きな意味を持つかもしれない。

 オーネット・コールマンは、1944年、14歳のとき、テキサス州フォートワースでアルトサックスを吹き始めた。ほとんど独学でおぼえたのだが、オースティンで音楽教師をしていた従兄弟のジェームズ・ジョーダンに刺激を受け、早くから和声と理論の本を読んでしっかりと勉強した。初期に影響を受けたのは、チャーリー・パーカーと演奏していたレッド・コナー。コールマンによると、コナーは、現在のソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンのような演奏を当時やっていたという。また、アルト奏者のバスター・スミスを聴いて尊敬していた。スミスは、現在ダラスで仕事をしており、パーカーが「マジでゴキゲン」と言ったミュージシャンだ。
 コールマンの初期の仕事には、カーニバルやR&Bバンドもあり、いつもリーダーの意に沿わない演奏をして退団させられた。一度、ニューオリンズで聴衆に楽器を壊されたことがある。どうやら彼の演奏が気に入らなかったらしい。1952年のロサンゼルスのセッションでは、他のミュージシャンたちに「和声を理解しておらずハモっていない」と言われて相手にされなかった。フォートワースに戻ってから、1954年に再びロサンゼルスへ行ったが、この年は、彼にとって非常に重要な年となる。その後の彼の音の特徴となる「自由」に到達したのだ。しかし、すぐには認められず、昼間に別の仕事をして妻のジェインとの生活を支えた。間もなく息子も誕生したが、彼は、音楽に対する自らの信念を曲げることはなかった。
 1956年、トランぺッターのドン・チェリーと出会った。チェリーは、コールマンの演奏を理解し、コールマンが息をするように音楽での呼吸を始める。チェリーはコールマンより6歳若かったが、4歳のとき、オクラホマシティからロサンゼルスへ引っ越し、1951年からプロとのギグを重ねていた。
 ベースのチャーリー・ヘイデンは、この録音に欠かせない存在だ。彼もコールマンの音楽の本質を把握し、大きく貢献している。このアルバムの彼の演奏を聴くと、コールマンの音楽がバンドによる即興において少なくとも次のことを既に成し遂げたとわかる。それは、従来のベースの立ち位置や和声的なベースラインという考えを捨てることにより、曲と即興奏者による進行中のピッチをベースのために見つけ(コールマンは、ときどきヘイデンのためにベースレンジを書き出した)、伴奏としてヘルプする機能ではなく、音楽にもっと直接的に関わり、リズムを刻みつつメロディックなベースパートを生み出している。特に「ロンリー・ウーマン(Lonely Woman)」に耳を傾けて欲しい。
 最後に、ドラマーのビリー・ヒギンズだが、彼は、ドン・チェリーが連れてきたメンバーである。彼は、ジャズビートの基本的な動きやスウィングを維持しつつ、テンポを変えたり、リズムや拍子を自由に操ることができる。
 収録曲のタイトルは、よくあるアイロニーやとってつけたそれではなく、文字通りの意味が込められている。例えばCongenialityは、本来はあるさすらいの伝道者のためのタイトルだったが、コールマン曰く、「私は牧師ではなくミュージシャンなので、聴衆に対してミュージシャンが抱く気持ちを私なりのタイトルにした」そうだ。
 このLPのテープの編集は、マサチューセッツ州レノックスのミュージック・インにあるスクール・オブ・ジャズの3回目のサマーセッション期間中に行われた。オーネットとチェリーがそこで学んでいたのだ。オーネットは、ジャズとクラシックのフレンチホルン奏者で作曲家、ジャズ批評家としても仕事をし、当スクールの講師でもあったガンサー・シュラーに編集の手助けを依頼した。次にシュラーのオーネットに関するコメントを載せるが、内容が内容なので、シュラー自身が「現代音楽において完璧なスタイル感」を持つ作曲家として賞賛されている人であることを前もって書いておく。「オーネットが音楽を生み出すとき、最も注目に値する要素は、とらわれない完全な自由である。彼の音楽は、従来の小節、コード進行、これまでのサックスの吹き方やフィンガリングを超えた世界で生み出されている。彼には、そうした実質的な枠を克服する必要さえなかった。どういうわけか、そんなものは彼にとってもともと存在しなかったのだ。それにもかかわらず、というか、もっと正確にいえば、そのおかげで、彼の演奏には深い内的なロジックが存在する。言わずもがなの表面的なそれではなく、私が思うに、ジャズにとって全く新しい、微妙なリアクションやタイミング、そして音色が根本にある。『新しい』というのは、少なくともこれほど純粋に直接的なスタイルで現れたことは今までなかった、という意味だ。オーネットの音楽の言葉は、ホーンを通して表現しなければならない大人の男の言葉である。音の一つひとつが、伝える必要があるから生まれている。オーネットには、他の大勢のジャズメンのような吹いてるだけの吹き方は無理なのだ、と私は思う。彼にとって音楽は、そんなに浅いものではないのだ。彼の持つ個性や技術のすごいところは、それらにジャズの伝統への深い愛と知識が吹きこまれているだけでなく、チャーリー・パーカーの音楽に内在したすべてが、初めて新しい形として現れたことにある」

マーティン・ウィリアムス
The Jazz Review 共同編集者

(Original liner notes by Martin Williams; translated by Asako)