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アサコ・スタイグ

アサコの「ライナーノーツ読めば?」第8回~

 2023年が明けました。今回は、映画とジャズ!

アサコ・スタイグ寒いね!熱いコーヒーとアップルパイがおいしい季節だ.
今年の1枚目は、今までとちょっと違ったアングルで、映画で使われた即興ジャズの名盤を紹介したいと思います。このレコードのA面を見ると、まぁ、トラックの溝がたくさんあって、パイではなく、まるでバームクーヘンのよう。おいしそうな盤面。

アマンダ・パイそれは、短い曲がいっぱい録音されているってことだね!


A: はい、ご名答。このA面は、1958年のフランス映画『死刑台のエレベーター』のサウンドトラックで、世界的に有名なジャズトランぺッターのマイルス・デイヴィスとヨーロッパのジャズミュージシャンたちが、各場面に即興でつけた映画音楽を聴くことができます。

AP: ちょっと待って。このジャケットの女性はどこかで見たことがある。

A: はい。この方は、フランスの名優ジャンヌ・モローさん。そして、彼女と不倫関係にあるビジネスマンを演ずるモーリス・ロネという、これまた有名な俳優さんが出てきます。『太陽がいっぱい』の中で、アラン・ドロンに心臓をナイフで一突きされて、船の上で死んでしまった、あの役を演じた方です。『死刑台~』では、逆に殺人犯だけど。

AP: わー。今回は、サスペンス映画のジャズを聴けるんだね!ワクワク。

A: はい、ライナーノーツも、そういうわけで、今までとはちょっと違って、映画のシーンの説明が続きます。この映画はジャズに耳を傾けつつ見る作品なので、最近よく耳にする「何倍速」で映画を流し見る方にはまったくおすすめしませ~ん。大体、マイルス・デイヴィスの演奏を倍速で聴いて平気な人なんて、そもそも音楽聴く耳もってんのか?という感じ。この作品の視覚的にも音楽的にも、なんとも言えず「都会的」なムード、そしてマイルス・デイヴィスというミュージシャンの卓越した演奏を、じっくり味わってね。「死ぬまでに観たい、そして聴きたい」作品です!ま、撮った監督が監督だもんね。ライナーノーツで「ネタバレ」してるので、先に映画を観るのもいいと思います。
 このLPの面白いところは、マイルス率いる別のバンドが演奏しているB面の曲目も、映画がらみなところ。主題歌として作曲されたナンバーがジャズミュージシャンによって何度もカバーされて、今ではスタンダードとして誰もが知っている曲が聴けます。一曲目のOn Green Dolphin Streetは、1940年代のDisaster MovieであるGreen Dolphins Street (大地は怒る)という大地震の映画のタイトル曲。ラナ・ターナーというハリウッドきっての美ブロンド女優が主演。また、3曲目のStella by Starlightも同じく1940年代にヒットしたスリラーThe Uninvited(呪いの家)という映画のテーマ曲です。これも、レイ・ミランドというアメリカの名優がでてきます。この方は、『失われた週末』というアル中のライターが主人公のすごく有名な作品があるよ。Green DolphinもThe Uninvitedも日本人はあまり見る機会のないハリウッドのクラシック映画だね。私もアメリカに住んでいるときにテレビで見て、ジャズ・スタンダードのはずの曲がサントラで流れてきたので、「あれ、これってこの映画の主題曲だったんだ~」と驚いた記憶があります。

AP: そうなんだ~。じゃ、このLPは、ジャズを映画を通して楽しむっていう、これまでとはちがった面白さがあるんだね!早速聴いてみよっと。

Jazz Track FRANTIC (1959年5月)
The Miles Davis Quintet/Sextet(Columbia 1268)
 映画会社は、映画の中で気の利いたジャズの使い方をすることがほんどない。ジャズを好意的に扱えば、映画が素晴らしいものになるチャンスがあるにもかかわらず、である。これまでにジャズのスコアを大っぴらに宣伝した数少ない映画は、大抵、ミュージシャンたちに自由裁量を与えておらず、音楽の質も満足のゆくものとはとてもいえない。また、ジャズは本来ならさまざまな趣の作品に使えるのに、暴力や犯罪を扱った映画に流れる傾向がある。ジャズを生んだ国が、ジャズを評価するまで長い時間を要したことを考えると、初めてジャズをインテリジェントに使った映画プロデューサーがフランス人でも、それほど驚かない。その映画では、作曲家でピアニストのジョン・ルイスが、”Sait-on jamais"(米国ではNo Sun in Veniceという題でリリースされた)のスコアを依頼され、実のところ、サントラの演奏は、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)によるもの。この実験の成功をみた映画人たちは、自分もジャズを使ってみよう考えた。そして、マイルス・デイヴィスがフランスのツアー中に、映画『死刑台のエレベーター』のバックグラウンド・スコアを演奏することになり、今、このレコードのA面をあなたが聴いているというわけだ。同作品は、米国ではFranticというタイトルでリリースされた。(1988年のハリソン・フォード主演のFranticとは無関係)
 メロドラマ風の物語は、サイモン・カラーラの妻フローレンスと、ジュリアン・タヴェルニエという男の不倫関係から始まる。追い詰められた二人は、巻き込まれた脅威から逃れようともがく。ジュリアンは完全犯罪を企てサイモンを殺し、うまく自殺に見せかけるのだが、車に乗って逃げる際、どうしてもオフィスに戻らなければならなくなる。その途中でビルの管理人が現れ、ジュリアンは、身を隠す。土曜の夕方だったので、管理人が電源を切ってしまい、ジュリアンが乗ったエレベーターが止まってしまう。彼は、月曜の朝まで囚われの身となってしまったのだ。
 一方、カフェでジュリアンを待つフローレンス。ジュリアンの車と同じ、見慣れたシボレーのコンバーチブルが通過すると、助手席に若い女が座っているのが見える。ヴェロニカだ。確かあの娘は、夫の勤務先ビル、つまり、今しがた彼が殺害された建物の向いの花屋で働いていたはず。実はヴェロニカは、本屋の店員のルイスという若者にぞっこんなのだが、ルイスは、彼女がいつもジュリアンに憧れていることにいら立っていた。ジュリアンが車のエンジンをかけたままオフィスに戻っている最中に、ルイスが車を見て、腹いせに一晩だけ車を拝借してやろう、と盗んで運転していたのだ。そんな経緯が、即興演奏"L'Assassinat de Carala"(カラーラ殺し)を背景に展開する。
 ルイスの運転するシボレーは、ハイウェーで高級車(白いベンツ)との事故をすんでのところで免れるが、ベンツは動かなくなってしまい、乗っていた二人がシボレーに同乗することになる。この部分で流れるのは、Sur l'autorouteだ。
 この後は、3つの場面で進行する。エレベーターに閉じ込められたジュリアン、ジュリアンを探してパリの街をさまようフローレンス、それとはまったく別に、ルイスとヴェロニカの冒険は思わぬ方向に発展する。
 Julien dans l'ascenseurは、窮地に陥ったジュリアンの描写だ。エレベーターの天井の上げぶたから何とか外に出て、ケーブルを伝って降りるジュリアン。映画のクライマックスだ。ビルの夜警係が、数秒だけ電源をオンにしてしまい、ジュリアンは危うく命を落としそうになる。脱出は不可能と悟り、彼はエレベーター内に戻り、座り込む。フローレンスはと言えば、犯した罪を思うと気が気ではないまま、シャンゼリゼ通りを歩いている。ジュリアンへの愛と殺してやりたいという気持ちに揺れ動きながら、彼女は、自分も共犯者であることを悟り始める。ジュリアンの友達数人と偶然出くわし、ジュリアンを見なかったか、と尋ねる彼女だが、同時に、自分の夫を殺した男を自分はまだ愛しているのか、と考える。この場面を引き立てる音楽は、Florence sur les Champs-Elysees。疲れ果て、取り乱した彼女は、Rue du Bacのバーに辿り着く。 ベンツから乗り込んできた傲慢な金持ちのドイツ人は、ルイスとヴェロニカを夕食に連れて行くが、ルイスは彼に憎しみをおぼえる。夜明け、ルイスはベンツに乗って去ろうとするが、ドイツ人に見つかり、ジュリアンのレボルバーで彼を撃ってしまう。ヴェロニカはルイスをパリの自宅へ連れ帰る。Diner au motelは、モーテルでの夕食のシーンの音楽だ。
 早朝、ジュリアンはやっと自由になるが、間もなく、ドイツ人殺害の容疑で逮捕される。彼のレボルバーが凶器であり、現場で彼のコンバーチブルが目撃されていたからだ。サイモンを殺してビルのエレベーターに一晩中閉じ込められていたジュリアンは、「完全犯罪」のおかげでアリバイがなかった。事件を聞いたフローレンスは、ルイスとヴェロニカに慌てて会いにゆく。ルイスは、容疑者はジュリアンだけで、昨夜ドイツ人と一緒に撮影した写真さえ処分できれば、自分は逃げおおせると悟る。朦朧としてモーテルへと急ぐルイスをフローレンスは追う。着いてみると、刑事は既にフィルムを見つけ、現像してしまっていた。もちろんルイスとドイツ人が写っていたが、フィルムの最初の方には、フローレンスとジュリアンが仲良く写っていた。刑事は、フローレンスがジュリアンを夫殺しに駆り立てたと推理する。この場面のバックに流れるのは、Chex le Photographe du motelだ。ルイスは手錠をかけられ、フローレンスは、愛人ジュリアンの写真を前に、茫然とする、というのが結末だ。
 サウンドトラックの録音は、パリのラジオ局のスタジオで夜間に行われた。非常にリラックスした雰囲気だった。ミュージシャンたちは、映画の主なシーンを観ながら即興した。この録音が即興で行われたことの重要性を強調しておきたい。画面とスコアとの完璧なシンクロニゼーションが不可欠な中で、ミュージシャンたちの自由に少しでも任せることは、とても珍しいからだ。Diner au motelの演奏中に、マイルスの唇の皮がむけてアンブシュアに入ってしまったが、彼は演奏を続けた。このときのメンバーは、フランスきってのジャズピアニスト、ルネ・ユルトルジェ、素晴らしいテナーサックスのスター、バルネ・ウィラン、そして才能あふれるベーシストのピエール・ミシュロ。彼は本当に優れたミュージシャンで、アメリカ人の同輩たちに匹敵する存在だ。この録音は、受賞が難しいルイ・デリュック賞(1957年)を獲得。音楽が素晴らしいだけでなく、映画のバックに賢くジャズを使えば素晴らしい結果が出ることを示した点で、重要なリリースとなった。
 このアルバムのB面では、マイルス・デイヴィスがもっとオーソドックスなジャズのグループと演奏している。アメリカのリスナーは、この数年、テナーサックスのジョン・コルトレーンの大きな可能性にわくわくしており、このセッションでの彼のソロには特に興味を持つだろう。ビル・エヴァンズも、ファンと批評家の両方から注目されている新人だ。今後期待に応えることができるか、この二人ほど注視されるミュージシャンは他にはそういない。次に、ジュリアン・「キャノンボール」・アダレー。彼は彼で、既にスターとしての地位が確立しており、このアルバムの演奏も、ファンの期待を裏切らない。彼はとても興味深いミュージシャンである。彼のプレーは、チャーリー・パーカーに大きく影響を受けており、本人もパーカーを深く尊敬していることを認めているが、もう少し前の時代の名手、ベニー・カーターを讃える演奏をすることもある。アダレーの吹き方は、カーターのメロディックな演奏に重なる部分があり、さらに、カーター風の表現スタイルを会得しようと試みているようにも感じられる。アダレーとマイルス・デイヴィスは、一見不調和で、一緒に録音するのはどうか、と思うかもしれないが、今回の協演の結果を聴けば、そんなことはないとわかる。
 マイルス・デイヴィスが、一流プレーヤーとして人気を博すようになったのはここ数年の現象だ。彼は、過去十年間、完全に「我が道を行く」演奏をしてきた数少ないミュージシャンのひとりで、努力を積んで、強烈に個性的なスタイルを創り上げてきた。マイルスには、ルイ・アームストロング、バック・クレイトン、エメット・ベリーなどの先人たちの仕事彼らに共通する社交性、外向的要素がまったくなく、そこが彼らとは正反対である。ブルースを演奏してもどこか陽気な先人たちとは異なり、マイルスの演奏には激しさがあり、それは、基本的には社会の問題である「状況への彼の個人的な関わり方」から生まれるように思える。時に繊細で、サブトーンを用いた抒情的な表現を、批評家によっては「故ジョー・スミスに似ている」と些か表面的な比較をする者もいる。若いジャズ・リスナーのために申し上げておくが、スミスは、長年、フレッチャー・ヘンダーソン・バンドの中心的存在で、ベッシ―・スミス他、1920年代の歌手たちのレコードですばらしいブルースのバックを披露している。マイルスとジョー・スミスを比較するのは少々無理があるとしても、マイルスが最近初めてスミスの演奏を聴き、深い感銘を受けていたことも面白い。
 マイルス・デイヴィスについて高く評価されている点に、彼のバラードの吹き方がある。今回、とても心に響く演奏に仕上がっている「ステラ・バイ・スターライト」は、その良い例である。「オン・グリーンドルフィン・ストリート」は、キャノンボールの提案で収録された。一方、「フラン・ダンス(Put Your Little Foot Right out)」は、マイルス自身のお気に入りのナンバー。これらの選曲により、リスナーは、マイルスのさまざまな表情を楽しめる。ついでに言っておくと、B面の録音は、1958年5月26日にニューヨーク市で行われた。
 流行りのミュージシャンに倣うことがよしとされる今日、マイルスは、果敢にも自らの道にこだわり続けており、それは、人々の賞賛と彼個人の成長という結果を生んでいる。しかし、彼は常に自分の演奏について謙虚なアーティストなので、現状に満足したままでいるとは考えにくい。マイルス自身は、自分の演奏に辛い点をつけるが、それは彼だけ。ここ数年の彼のレコードは、批評家やファンにとっては最高のジャズLPに数えられる。今回のスコアを聴いたら、もっと多くの映画製作者が、映画と言う媒体においてジャズを活用することの本質的な可能性を再評価するかも、と希望を持つことにしよう。

(Original liner notes by Albert McCarthy; translated by Asako)
(2023年2月)